徹底歌詞解剖 『私以外私じゃないの』とコカ・コーラCM

 先日、何がきっかけだったか、ゲスの極み乙女。の『私以外私じゃないの』を聴いた。歌詞にすごく共感した僕は、この曲がコカ・コーラのCMに使われていると知ってYouTubeで観てみたのだが、どうも歌詞のメッセージとCMのコンセプトとが真逆になっているように思われた。そこで、曲とCMとの違いについて考察してみたい。

 

 

1.1『私以外私じゃないの』とはどんな曲か

 ゲスの極み乙女。はJロックの最上位に君臨するといっていいくらいの人気バンドだ。この『私以外私じゃないの』や『猟奇的な私にキスをして』などの代表曲は、意識しなくても耳に入ってくるし、音楽に詳しくはないけれど特徴的なバンド名だけは何となく知っている、という人も多いのではないだろうか。

 

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 言うまでもなく、このバンドの特徴のひとつは極端な言葉選びだ。バンド名しかり、先ほどの二曲のタイトルしかり、そのフレーズがサビで歌われることしかり。

そういった極端な歌詞がキャッチーなメロディ(※1)にのって流れてくるとき、「そこに生まれる明らかな違和感とそれに反比例するように湧き上がってくる気持ちよさ」(ゲスの極み乙女。『私以外私じゃないの』 - 音楽だいすきクラブ)を私たちは感じる。「クセになる」「耳に残る」という感想はきっとここからくるのだろうし、曲の印象の強さは、短時間で流れるCMにうってつけだろう。

 

私以外私じゃないの - ゲスの極み乙女。 - 歌詞 : 歌ネット

 

 歌詞を見てみると、主人公が苦しみながらもアイデンティティを獲得するというストーリーになっていることがわかる。 

 最初のパートでは、アイデンティティに悩む日々が綴られるように滑らかな口調で歌われ、パートの終わりではその日々が終わるように一気にサビへ駆け上がる。そして、サビでは高らかに宣言するような調子で、それまでの苦悩の日々を克服した喜びが一気に吹き出すようだ。あのサビが耳に残るのは、起伏に富んだ歌詞と曲調とが、共に、一気に高まりに達するからというのが理由のひとつと言えるだろう。

 

 

1.2 歌詞のストーリー

 

 では、その起伏に富んだ歌詞をより詳しく見てみる。それはこんなストーリーだ。

 

冴えない顔で泣いちゃった夜を重ねて 絶え間のない暮らしを今日も重ねた

良くなりそうな明日に期待する度に 何度も今日を鏡台の裏に隠した

映る私は何回も瞬きしては 変わる心に簡単に動揺したわ

 

 「私」は、自分に満足できない苦悩の日々を過ごしている。ありのままの「私」に目を背け、ただただ泣いて、いつか「今のダメな私ではない、私以外の私」になることを夢見ている。

 つまり、ここでの「私」はあるひとつの理想を持っているのではなく、ただ、今のダメな自分を捨て去りたいだけである。鏡にありのままの「私」を見ず、「私以外の私」を映しても、それは見つからないし、なれもしない。まるで自分探しに躍起になっている人のように。

 

だけど意外と目を瞑った瞬間に 悪くないなって思いながら明日を悟ったんだ

 

私以外私じゃないの 当たり前だけどね

だから 報われない気持ちも整理して 生きていたいと思うのよ

私以外私じゃないの 誰も替われないわ

今日を 取り出して逃げないようにして 明日に投げ込んで 目を開けたんだ

 

 そんな「私」も、目をつむり自分を直視することで、ありのままの「私」を受け入れることができた。そして自分とは、また他人とは交換不可能なものだと気づき、「私以外私じゃない」とはっきりと自覚する。だからこそ、「私」は誰かになり替わろうとするのではなく、目を背けていたありのままの「私」と向き合って、少しずつ自分を変えていかなければいけないのだ。

 

 

2. コカ・コーラCMのコンセプト

 

 さて、この『私以外私じゃないの』は、コカ・コーラのネームボトルキャンペーン第二弾のCM曲に採用されている。それは以下のようなものだ。

 

コカ・コーラは昨年4月にも、コカ・コーラおよびコカ・コーラ ゼロの300ml・500ml・1.5Lペットのラベルに250種類以上の名前をデザインした「ネームボトル」を展開。店頭で自分の名前を探し、SNSで写真をシェアする人が多く見られ、累計販売本数が2.5億本を超えるヒットを記録した。
今回のネームボトルは、昨年の企画をさらにブラッシュアップして実施するもの。自分の名前に加え、友人・家族の名前を見つけたときに、両者の関係を象徴する記号「♡」「&」「VS」を使ってシェアし、人のつながりを演出することができるデジタルコンテンツを提供する。

 

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 このように、ネームボトルは他人と共有する(つながる)アイテムとして売り出されている。そして、第一弾ネームボトルはヒットし、第二弾では更にこのコンセプトが推し進められている。それに伴って打たれたこのCMも、やはり同じコンセプトで、友人や恋人と一緒にネームボトルを飲むシーンが描かれている。

 

 だが、だとすれば、「つながり」がコンセプトのCMに、なぜ『私以外私じゃないの』という内省的な曲が選ばれたのだろうか。

 

 

3.反転する「私」

 

 言うまでもなく、この曲はかなりヒット曲であり、また前述のとおり耳に残るからこそCMにうってつけだったのだろう。また、サビ部分だけでは曲全体のストーリーは分からないのだから、歌詞は意味のあるものとして受け取られないかもしれない。しかし、サビのワンフレーズとネームボトルは、次のようにも読み替えられるのではないないだろうか。

 

 他人と「つながる」ためのアイテムであるネームボトルだが、CMでは「自分の名前が入ったネームボトルを一緒に飲む」というつながり方が提示される。

もちろん、CMで登場人物がネームボトルの影に変わってしまうように、ネームボトルは「つながり」のなかの人物を表している。それを共有するということは、ただモノを共有することで「つながる」というだけでなく、自分や相手が「つながり」のなかに居ることを示し確認しあう、とてもつながり作用の強いコミュニケーションだと言えるだろう。

また、極端に言えば、ネームボトルを通じたコミュニケーションとは、間接的に私たちが私たち自身を共有することで、より他者との同一化を図ろうとする再帰的なコミュニケーションだとも言えるだろう。

 

 だとすると、そのようなCMに流れる『私以外私じゃないの』は、「(つながりのなかにいる)私以外私じゃないの」と読み替えることができる。この曲の歌詞は、このCMにおいては他者とつながることへの喜びや高揚を表しているのだ。

だが、この曲のストーリーはあくまで「私」が私以外の誰にもなり替われないことを思い知る、つまり「私」と他者の絶対的な差異に気づくことでアイデンティティを獲得するというものであった。

皮肉にも、この曲は全く姿を変えることなく、曲とCMとで真逆のとらえ方がされているのだ。