ディスコミュニケーション

 先日、1年ぶりくらいにSと会った。Sとは中学からの仲でつきあいが長く、ここ何年かは多忙であることもあって1年に一度くらいの頻度で会っている。頻繁でない分、会うごとに俺の変化をSはよく指摘してくれて、先日は「とても内省的になった」ということだった。自分自身内省的になったとは思うが、それ以上に俺は日ごろコミュニケーションに強い不全感を持っており、彼の言葉はそのコミュニケーション不全をオブラートに包んだ表現にしか聞こえなかった。


 実際、俺はしばしば物事をうまく説明できなかったり、論理の飛躍が著しく多かったりして、Sは辟易しているようだった。確かに、俺は対人恐怖を持っているから、人一倍他人に敏感で自分の振る舞いに非を見出すのだろう。しかしそれを割り引いたとしても、余りに酷かった。

 コミュニケーションに関する強い不全感は約2年前から持っている。具体的には、他人と喋るとき言葉が出てこないどころか、本すら集中して読めないといった状況がずっと続いているのだ。なるほど確かにこれだけコミュニケーションに開かれていなければ、性格はより内省的になる。そういった意味で言えば、Sの言葉は端的に当たっているのかもしれない。


 Sと昼から夕方までずっと喋り続け、その後Yと連絡が取れたのでビデオチャットをつなぎ、3人で数時間話をした。YはSの同級生で、心を病んで去年に院を退学、現在は山梨の実家で療養しているという。それで、Yが高校で病んで辞めた俺が二人の間で話題にのぼり、今度話してみたいということでこの場が持たれたのだった。

 

 話を聞くに、Yはいくつかの深刻な出来事が重なって心を病んだということだった。
少なくとも俺の身に同様のことが起きたら、きっと耐えられず自殺していたと確信できるほど、深刻な内容だった。それでも、Yは苦しみながらも必死に耐えているようだった。事実、ブログを100エントリ以上書いたり、過去の出来事を何ページもノートに書きつけたりしているそうだ。もともとSはバイタリティーが高いとうこともあるのだろうし、あるいは書かずにはいられないののかもしれない。

 いずれにせよ、Yは健康を希求しその為に手を動かし必死に生きようとしていることが伝わってきた。もちろん、それは苦しみの深さの裏返しでもあるのだが。

 


 おそらく俺は今、Yほど状態が悪くはない。だから、ことさら自分の状態を良くしようと努力することはない・・・と思って、断じて違うことに気がついた。なぜなら、コミュニケーションに強い不全感を持っているだけでなく、実際それが深刻なレベルであることが今日明らかになったからだった。

 

 なぜ自分がこんな状態になったか、俺は自覚があった。俺が精神の安定を実感し始めたのは4年前だ。不安定だった頃は行動的で恋愛にも積極的、悪目立ちして社会性もまるでないというような状態だったが、やがて安定するようになると言動は控えめになっていった。それまでの自分を客観視できるようになり、学校の人間関係を生き抜く為もあって、意識的に言動を控えるようになった気がする。
 実際、そうすることで心を揺さぶられる機会が少なくなり、より心も安定していった。こうして自分の殻に閉じこることを選択した俺は、その代償として他人とまともにコミュニケーションができなくなってしまった、という訳だ。

 

 俺は今一度Sの「とても内省的になった」という言葉を思い出すとともに、強烈な恐怖に襲われた。他人と十分にコミュニケーションが取れないことは確かに反外交的だと言えるが、もしかして内省的ですらないのではないかと思ったからだ。つまり、コミュニケーションが取れないのではなくて、単純に俺はもう物を考えなくなってしまっただけなのではないか、俺の頭の中は他人には観察しえないから、コミュニケーションが取れないのを見てSは「内省的になった」と思ったのではないか。

 そうなるとこれは重大だ。俺から考えることを取り除くと、一体何が残る?俺は俺自身に価値を感じないし、きっと他人も同じだろう。死を回避する為に俺は思考を捨てたのだ、考えることなくただ生き続けるゾンビや廃人に俺は今成り果てようとしているのだ。

 そして何より、俺はそれに気づくどころか満足気に自分を作り替えていたのだ。

 


 結局終電が無くなり、Sの家に泊まらせてもらった。眠れずに徹夜した翌日、家に帰ると声をあげて泣いた。泣き疲れた後で、PCに向かって思うがままに理屈を書き連ねた。昨夜のYを思い出し、そうだ何か書いてみよう、喋れないなら書くことを試そうと一心不乱に書き続けた。すると、意外と一日中書いてもまだ書きたりないくらいたくさん書くことができた。

 俺は心の底から安堵し、別のフォーマットを試した。一時期ハマっていた作曲は以前と同様にイマイチ、読書は特定の環境下だったら以前程ではないが読めないことはなかった。

 嬉しかった。これで読み書きができること、俺の脳はまだ死んでいないことが確かめられた。翌日、勇んで図書館に行って本を借りた。以前数ページしか読めずにそのまま返した本だ。


 Yは研究が心から好きなようだった。だから、研究の場を奪われたこと、研究の場ですら適応することができなかったことをとても気に病んでいるようだった。「今はもうやりたいことが何もない」とそこはとない虚脱感を漂わせて言っていたことが印象に残る。

 Yと俺は健康のレベルも病態も求めるものも何もかもが違う。だが、自分を殺してしまいそうなほど生きていくうえで価値を置いているものがあって、それゆえに苦しんでいる点では同じはずだ。


 俺はもう障害者だ。健康を目指すステージには最早いないし、障害は自分を形作る要素のひとつになっている。そのことを俺は決して絶望視しない。俺は俺であるゆえに苦しむとしても、俺でなくなった命を生きるくらいなら、自殺してしまいたい。
 俺は自分の実存が辛うじて保たれていることと、実存について確かめることができたから、あの夜は苦しくって価値の高い、いい夜だったのだろう。

 

 ではYは?知る由もないし、何もしたくない。Yを殺すのも救うのもY自身だろう。ただ、真空の向こうに星を見るように、眼差すことぐらいは俺にはできる。そしてそれこそが――もちろん独善的な――俺にとっての最大の応援だ。俺のコミュニケーション不全がちゃんと治っていることを祈る。