RADWIMPSとZeebraの歌詞が好対照すぎる

93年生まれの自分にとって、BUMP OF CHIKINとRADWIMPSは世代ど真ん中のバンドだ。中高でカラオケに行ってはよく歌っていた覚えがある。

BUMPなら『天体観測』、RADなら『ふたりごと』などが特に有名かと思うが、曲はもちろんのこと青春・恋愛の甘酸っぱさと切なさが胸をうつような歌詞で、特に愛聴していた。

こういった青春Jロックは普遍的な人気があるようで、僕らより前の世代であればgoing under groundアンダーグラフ、19などになるのだろうか、常にこういった歌詞を歌うバンドがシーンに存在していたと思う。

 

最近で言えば、RAD WIMPSが主題歌を歌っている『君の名は。』が国民的大ヒットをした。映画の冒頭、PVのようなオープニングが印象的で、RADWIMPSの音楽をバックに細密画のように書き込まれた風景が次々映し出されて、映画館の音響・スクリーンで観ると本当に圧倒された。

その時は休日に新宿に観に行ったのだが、映画館は満席で、しかも家族連れから老人まで世代を問わず観に来ていた。僕自身はアニメやマンガにかなり疎い方で、『君の名は。』をはじめアニメ映画に多少の敷居の高さを感じてしまうのだが、世間の人は全くそんなことはないようだった。

何より、RADWIMPSの歌詞や『君の名は。』のセカイ系のストーリーがこんなに多くの人に受け入れられるのかと驚いた。

というのは、前述の青春Jロックであれば基本的に10~30代の人だったと思うし、セカイ系アニメで言えば例えばエヴァンゲリヲンだってアニメを少年期に観てきた30/40代に人気があったと思う。時代を越えても世代は越えない...と思いきや、『君の名は。』の人気をみる限りそうではないらしかった。

 

RADWIMPS / 夢番地

そんなRADWIMPSの歌詞の世界観を特徴づけることができるのが『夢番地』という曲だ。

『昨日に夢を託せば後悔で 明日に夢を託せば希望で』という印象的なフレーズで始まるこの曲は、過去に抱いていた夢について歌われている。

「未来のために今がある」と言われても 僕は信じないよ だって「今」のこの僕が 昨日の僕の未来 「現状に甘んずること勿れ」と言われても僕は笑えないよ だって「今」のこの僕が誰かの夢見る未来

 

僕はきっと今いつかの夢の上に立っているんだね 僕はきっと今誰かの夢の上に立っている

息を吸って そして吐いて それだけじゃ喜べなくなって 欲しくなって あれも これも あの人のも だけど 僕にあって 君になくて 君にあって 僕にないもの があるから 僕は君を 君は僕を好きになれたんでしょう

叶えた夢の数を数えよう 叶わない夢は誰かがきっと どこかで…

「僕が立っているここはきっと誰かの願ってる場所で 誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で」 誰かがきっと今僕にとっての夢を叶えてくれている 僕もきっと 誰かにとっての夢を叶えている

 

Let's party dance dance dance

Let's take our hands to hands to hands Shut up and smile so you can see how beautiful life is

Forget about chance chance chance What for? Enhance hance hance You're naked is really the best

 

僕はきっと今いつかの夢の上に立っているんだね 僕はきっと今誰かの夢の上に立っている 僕はもう数えきれぬほどの夢を叶えているんだね ごめんね これからはね ずっと ずっと一緒だから

自分は夢を叶えられなかったけれど、自分の夢を他人が叶えていると思うとなるほど(夢破れた)自分を受け入れ、「現状に甘んずる」ことができる。まして自分の手に入れた「現状」が他人が望んで叶えられなかったものであればなおさらだ。

つまりここでは、夢が人を代えて実現される未来が願われているのではなく、夢が人を代えて実現しうる現状を(他者の存在を)祝福している

こうした、自分をとりかこむ世界のありようが他人の存在によって書き換わりうるような、世界を他者と自分との人間関係に還元できるような世界観が何とも印象的だ。

 

Zeebra / Street Dreams

次にZeebraの代表曲であるStreet Dreamsの歌詞を見てみる。

ジャパニーズヒップホップがまだまだマイナーな時代に出されたこの曲は、少年時代をアメリカで過ごしたZeebraが、ヒップホップを日本根づかせ人気になる未来を力強く宣言する歌詞になっている。

テレビにラジオ新聞も 世界が動く俺が韻踏むと

まさにWorld is mine 変わりづらい世界 この世界変えるここFar East Side

何だって本気でやりゃ叶う 成せばならぬ だから成せばなる

きれいごとだとかマジ言うな マジでうるせえこの人生 俺が今証明するぜ

 

叶えられない夢を他人が叶えてくれることを祝福するRADWIMPSに対して、力づくでも夢を叶えようとする、現状を否定して世界を変えようとするZeebraの歌詞はとても好対照ではないだろうか。

夢破れた他者についての歌い方も、両者の歌詞ははっきり違っている。

僕にあって 君になくて 君にあって 僕にないものがあるから
僕は君を 君は僕を好きになれたんでしょ?

誰かがきっと 今僕にとっての夢を叶えてくれている
僕もきっと 誰かにとっての夢を叶えている

僕はもう数えきれぬほどの夢を叶えているんだね

ごめんねこれからはね ずっとずっと一緒だから

 -- RADWIMPS / 夢番地

 

道半ば あきらめた奴ら
ハード過ぎて箸投げた奴ら
都会に飲まれた奴ら 今じゃ連絡も途絶えた奴ら
今どうしてる? 気になるぜ
夢もって生きてくんねぇ?粋がって
俺の方なら相変わらず
誰も止めらんねぇハイパーな奴

いくらダセー奴が売れたって
訳わかんねぇ紛いが増えたって
心配すんじゃねぇ 俺がいるぜ
あきらめた奴らの分も走るぜ

  -- Zeebra / Street Dreams

 

夢破れた他人の分まで自分の夢を実現しようとするZeebraと、夢を通じて他者とつながろうとするRADWIMPS

そして題名は『夢番地』と『Streeet Dreams』というこれまた好対照なのだからすごいものだ。

夢番地はきっとここではないどこかに、Street Dreamsは今ここにあるのだろう。